突然のことに、側にいた小見の方も、肴を運んで来ていた笠松も一驚した。
『父上、何を…っ』
『何をではあるまい!ぬしは長幼の序列も弁えず、ましてや斎藤家頭領となった兄に対して“あの者”呼ばわりとは何事じゃ!?』
僭越にも程があると、道三はきつく喜平次を見咎める。【植髮前後大不同?】談植髮成功率與植髮心得 -
『し、しかし、父上とて常日頃から、兄上を能無しなどと言うて愚弄しておられたではありませぬか!?』
『ああ、その通りじゃ、義龍めは能無しの愚か者よ! じゃがな喜平次、総じて長兄というものは、あの者のように心穏やかな軟弱者であることが多い。
それが世の常ならば、儂はそれに抗おうとは思わぬ。寧(むし)ろ、我が手で義龍を立派な美濃の国主に育て上げる楽しみが出来たというものじゃ』
『…父上…』
『獅子は我が子をあえて谷底に突き落とすことで、子を鍛え、自立心を養うと聞く。ならば儂はその獅子になりたい。
儂は油売りの商人の身から、下剋上によってこの美濃の主となったが、義龍は生まれながらにしてこの美濃国主の嫡男であった故、
昔の儂のように外の世界で知恵を働かせることも、ましてや何万という軍勢を前に刀を振るうた経験もない為、些か軟弱さが目立って頼りない。
故にこの儂が獅子に…いや、悪鬼と化してあの者に教えておるだ。人の上に立つ者の厳しさ、世に蔓延る汚辱というものをな』
厳しさの中にも優しさの感じられる父の言葉に、喜平次は思わず当惑した。
『けれど父上は、此度某が一色右兵衛大輔を称する旨、お許し下されたではありませぬか!?』
『喜平次よ。この乱戦の世において、人が力を付けてゆく為に最も必要なものは何じゃと思う?』
『……』
『闘争心じゃ。人よりも多くの富と権勢を得たい、隣国に強き武将がおれば討ち果たしたい、そんな心を常に持ち続けている事で、人は自ずと今よりも強ようなろうと努めるものだ。
なれど義龍にはその心が欠けておる。あやつから闘志を引き出す為には、まず手近な者を使こうて闘争心を掻き立て、あえて危機的状況へと陥らせる──。
そこまでしなければ、四六時中本ばかり読んでいるようなのんびり者には、この父の思いは伝わらぬであろう』
やおら喜平次の顔面が、和紙を一握りにしたかのようにグシャリと歪んだ。
『そ、それでは…某や孫四郎の兄上は、単なる当て馬ではございませぬかッ!』
『何を言うておる。常に兄の支えとなり、陰ながら力添え致すのが弟の本分というものではないか。
それに義龍に万一のことがあれば、そちたちが兄に代わって斎藤家を守り立てていかねばならぬのじゃ。
家督を継ぐ心構えも、また官位昇進も、別に無駄なことではない』
『ですが!義龍の兄上は、美濃を追われた土岐頼芸の御子なのでは──』
『喜平次よ』
相手の言葉を遮るように、道三は重々しく言葉を重ねた。
『そなた、もしも己がこの国の主じゃとして、裏切り・謀殺を繰り返して美濃を手に入れた男の御子じゃと思われるのと、
先の美濃守護であった土岐氏の御子と思われるのとでは、どちらが家臣や領民の尊敬を得易いと思う?』
『それは…』
喜平次が答えあぐねていると、ふと小見の方が
『義龍殿が土岐氏の御子──このような埒もない噂が長の間吹聴し続けられて来たにも関わらず、大殿がこれまで黙認されて参ったのは、いったい何の為だと思われているのです?』
和やかに微笑みながら告げた。
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