「殿が私を思うて設えて下された部屋が気に入らぬなど、あろうはずがございませぬ。
あの高価できらびやかな品々を間近で拝し、濃がどれだけ胸打たれ、殿のお優しい心遣いに感謝致したことか」
微かに瞳を潤ませながら、熱っぽく語る姫の姿を見て、三保野はその白々しさに唖然となる。
「ならば…気に入ったのじゃな?」
「勿論でございます」
「では何故に片付けさせた!?」
「気に入ったが故にございます!」
「──は?」
信長も、そして三保野も思わず眉根を寄せる。
「あのように高価な品々を日常的に使うような真似、この濃にはとても出来ませぬ。動態紋消除
そのような事をしては、せっかく殿が下された品々に傷を付けてしまう恐れがございます」
傷が付くだけならまだしも、最悪破損の恐れもあるからと濃姫は力説した。
「じゃからと言って、屏風や几帳までも──」
「ご覧下さいませ殿。このとても日当たりの良きお部屋を。日々外からの強い日射しと、吹き込む風に当たり続ければ、屏風は色褪せ、
縁の塗装もすぐに乾き落ちてしまいましょう。そんな事になっては、私は申し訳のうて申し訳のうて、二度と殿に顔向け出来ませぬっ」
姫の余りにも演技がかった説明を聞き
「御廊下に置かれている物ならともかく、部屋の奥に置かれている物がまさかそんな…」
三保野が呆れ顔で呟くと、ごほんっごほんっと濃姫は咳払いをもってそれを制した。
「それに、あの違い棚をご覧下さいませ。殿が用意して下された御道具の数々を置かせていただきましたが、
他の豪華な調度品を遠ざけた故か、道具の一つ一つが際立って輝き、前よりもずっとその優美さが感じられるようになったとは思いませぬか?」
「…まあ……言われてみれば、そうじゃな」
「あのように豪奢な調度品の数々、私だけが独り占め致したのでは勿体のうございます。片付けました品々は、
節句行事や何か特別な祝い事の際に出して、多くの者たちの目を楽しませとう存じまする」
「…左様か…」
納得したような、しかしまだ不満も残るような信長の不明瞭な顔を見て
「それよりも殿、この前庭をご覧下さいませ」
濃姫はすかさず夫の身体を室内から外へと向け直した。
「せっかく殿が美しき部屋を用意して下されても、庭がこのように殺風景では満ちた心も萎えてしまいまする」
確かに前庭には老松と庭石くらいしかない。
さすがに信長も無風流と感じたのか“これはしたり”と、軽く太股の辺りを叩いた。
「どうかお願いにございまする。腕利きの庭師を集め、どうぞこの庭を季節の花々が咲き乱れる、情緒ある庭につくり替えて下いませ。殿の御居城に相応しきものに」
妻の甘えるような懇願に、信長も、見落としていた自分自身が許せなかったのも相俟ってか
「しょ…承知致した。これに関しては早急に手配を致そう」
「有り難う存じまする」
「これだけじゃな?他に何か不備はなかったであろうのう?」
「はい、他には何も。──されど確か、あちらの中庭の方も…」
濃姫はどんどん別の方向に話を持っていき、信長の意識を部屋の設え云々から離していった。
いつもなら鋭く双眼を光らせる信長を、ああも易々と自分のペースに乗せてゆく姫の姿を見て、三保野はやれやれとかぶりを振った。
妻の裁量というよりは、ただの誤魔化しである。
姫もまた小狡い手を使ったものだと、三保野は小さな嘆息を漏らした。
けれど、以前の濃姫ならば
“幾らなんでも派手過ぎる!”
“このような部屋では落ち着かぬ!”
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