
「この二つを呑んでいただけるのならば、見事、清洲の城を騙し取ってご覧に入れましょうぞ」
信光は自信たっぷりに言うと、やや白髪の目立ち始めた頭を慇懃に下げた。
「──下四郡の内の半分と、そしてこの城…。清洲の城も権威もそっくり手に入る事を考えれば、妥当な条件なのであろうのう」動態紋消除
暫しの休息と称し、信光を一旦客間へと去らせた信長は、座敷の前庭を眺めながら抑揚なく呟いた。
濃姫は変わらず下段の最前に控えたまま、座敷に背中を向け続ける夫に無感情な視線を送っている。
「濃、そなたはどう思った?先程の叔父上のお考えを聞いて」
「畏れながら、私が意見を申し上げても宜しいのでしょうか?」
「その為にそなたを同席させたのじゃ。遠慮はいらぬ、思うところを申せ」
「…それでしたら」
濃姫は黒漆塗りの床板から軽く腰を浮かせるようにして、くいっと信長の方に身体を向け直すと
「私が殿のお立場でしたら、信光様のお考えに喜んで賛同致しまする」
如何にもな聡明さを、その細面に湛えながら言った。
「その心を伺おうか」
「信光様は殿の数少ない支持者のお一人、これまでの経緯を考えても、信じるに値するお方である事は間違いございませぬ」
「ん─」
「先程のお話しの通り、信光様が上手く事を運んで下されば、こちらも多くの手勢を失うことなく清洲の城を奪う事が叶いまする」
「ん─」
「しかしながら気にかかるのは、坂井殿がどれ程のご信頼の上で、信光殿に此度の話を持ちかけられたのかという点です」
「と言うと?」
「これまで信光様が殿のお味方となってきた事実は、清洲の方々とてよう存じておられましょう。
とすれば、坂井殿が信光様を誘うた旨を殿に密告する可能性がある事くらい、容易に考え付いたはず」
「それは…そうよのう」
「今のまま、信光様が清洲の側に付いた振りを致したとしても、完全にその警戒を解くことは出来ますまい。
油断した隙を突くというのであれば、決して裏切りには及ばぬという、もっと確かな証立てを致さねばなりませぬ」
「具体的に言うと、どのような事をすれば良いと?」
信長に問われ、濃姫は暫し考えを巡らせると
「私ならば、いつものように父上様から賜りましたこの刀を差し出すところですが──」
と微笑って帯の間に挿してある短刀に触れた後
「なれど信光様でしたら、そうでございますね、…ご自身そのものを差し出してみるというのは如何にございましょう?」
夫の顔色を伺いながら、濃姫は閃くままに一案を提示した。
信長は思わず眉を八の字にし、小首を傾げる。
「意味がよう分からぬ。叔父上そのものとはどういう意味だ?命を差し出せという事か?」
「いえ、何もそこまでは…。言葉足らずで申し訳ございませぬ。私はただ、信光様のご決意や忠誠心を清洲の方々に示してみてはと思うただけです」
「益々意味が分からぬ。もっと分かりやすく申せ」
「ですから、清洲を決して裏切りは致さぬという、二心のない旨を書き綴った書面を坂井殿にお送り申すのでございます」
「つまりそちは、叔父上に起請文(きしょうもん)を書けと、そう申しておるのか?」
「左様にございます。我が父・道三ならば、それくらいの事は致しまする」
姫の発言を聞き、信長は難しい顔をして今一度考え込んだ。
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