「ちょっ!!」
トキと功助が止める間も無く,二人の背中は消えて行った。
三津は部屋に隊士を押し込んで襖を閉めきった。https://www.easycorp.com.hk/zh/virtual-office
「お久しぶりですね!って言っても私の名は分からないですよね?」
隊士は荷物を下ろしながら三津の顔を覗き込んだ。
「あー…えぇっと…。ごめんなさい。」
名前と顔が一致する隊士は数少ない。
三津は素直に頭を下げた。
「いいえ,お気になさらず。きっと今日で二度と忘れられない顔と名前になります。」
「へ?」
何とも意味深長。三津がきょとんと首を傾げると隊士がぷっと吹き出した。
「あぁ,そうだ。こんな大事なもの忘れて行っては駄目じゃないですか。」
隊士がごそごそと風呂敷から取り出したのは橙色のかんざし。
「あ!」
三津が手を伸ばすと隊士はひょいとそれを交わし,悪戯っ子のように笑う。
「大事にし過ぎて失してしまいますよ?
せっかく桂先生から戴いたのに。」
「なっ!?」
何でそれを知ってるの?驚きのあまり声が出ない。言葉も続かない。
「私は桂先生に送り込まれた間者,楠と申します。以後お見知りおきを。」
楠は恭しく頭を垂れた。「ね?忘れられないでしょう?」
楠は三津の手を取ると,その手のひらにかんざしを乗せた。
「新選組に入ったものの,桂先生が知りたがるのはいつも貴女の事だ。
貴女専門の間者になった覚えはないんですがねぇ…。」
「…あっ!」
何故桂が屯所での自分の暮らしぶりを事細かく知っていたのか,やっと納得がいった。
楠はうっすらと笑みを浮かべて三津を見ていた。
「ひっ…土方さんの部屋に居るとか報告したのも楠君?」
「いやぁ盆屋に入った時はどうしようかと。おまけに斎藤先生に気付かれずに居るのも大変だったんですから。」
三津は声にならない声を発しながら口をパクパク動かした。
「これでようやく本来の任務が出来ます。
でも…今の新選組の静かな事。本当に貴女の存在は大きかったようですね。
桂先生との仲を知らないで。」
楠は馬鹿にした口振りで笑った。
「貴女がここに戻って,桂先生もようやく安心なさる。これからもっとこの国の為に尽力なさるでしょう。
ですが…お気をつけ下さいね?三津さん。」
急に低く声を潜められ,三津は目を丸くした。
一気に不安の渦の真ん中に堕ちた。楠の神妙な面持ちに,心臓は嫌な鼓動を打つ。
「土方にはお気をつけ下さい。あの男は蛇以上にしつこく,ねちねちと貴女を追回しますよ。」
「蛇って…。」
執念深いと言いたいのは分かる。目付きだって蛇みたいに鋭いのも同感。
それでも大袈裟な言い方だ。三津は苦笑いで大丈夫とひらひら手を振った。
だけど楠は首を横に振る。
「あと,沖田と斎藤。この二人も貴女を苦しめるに違いない。
でもね,滑稽なんです。沖田のあの腑抜け具合。」
楠の笑顔が冷たさを帯びた。
三津の背中には指でなぞられたようなゾワリとした感覚が走る。
可愛い顔で微笑みながら,土方沖田斎藤と呼び捨てにする。
そこには新選組に対する嫌悪感しかなかった。
「笑っちゃいますよ,あの沖田が甘い物さえ喉を通らない。土方との関係もぎこちない。
このまま仲違いして斬り合ってしまえばいいのに。ね?」
言葉と一致しない笑顔を向けられ,三津は眉を垂れ下げて目を伏せた。
何だか“彼”に似ていた。
「楠君…無茶はしたらアカンよ?死んだらアカンよ?」
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